人類史上初めてAIと進化する世代の学び
人類史上初めてAIと進化する世代の学び
2025年8月11日
今の子供達は、人工知能と協働して進化する人類史上初めての世代です。
「混沌としたこの時代の教育」
人類最後の科学技術発明になるとすら言われる汎用人工知能(AGI)の登場を見据え、AIが現行制度の教育の価値を根底から揺るがせる中で、既存の教育システムの改革が追いつくまでの10年間またはそれ以上の期間は混迷期だと言えるのではないでしょうか。
この時期に従来型の暗記中心、大学受験中心主義の学校教育を受け、学歴社会の成功を遂げるために詰め込む知識は、もしかすると残念ながら社会的な実務能力、世界におけるサバイバル能力とはかけ離れたものになっていくのかもしれません。
「子供達にとってのAI〜未来」
今や人類を超えつつあるAIが膨大な知識を瞬時に提供できる時代において、「記憶や暗記といった従来型の詰め込みによる知識が相対的に重要性を失う」との意見は正しいと思います。しかし、「だから人間の頭脳には知識が必要が無くなる」という意味ではないと思います。
今後あらゆる分野で最も重要なパートナーとなるAIが真価を発揮するためには、我々人間が最大限に質の高い指示(プロンプト)を入力する必要があります。プロンプトエンジニアリングと呼ばれるこの能力は、世界全体を網羅的に俯瞰して大局観を持ち、全体像を深く多角的に理解して得られた知識やスキル、さらに想像力や創造力に基づくものです。
「知識やスキルの”質”の変化」
AI時代においては、個々の事実や細かい知識を詰め込んで単純に暗記するよりも、科学的思考、論理的推論やクリティカルシンキングを育み、それらをつなぐ原理や、概念的な理解を得ることが重要だと考えます。 単純暗記よりも、知識やスキルをどう組み合わせ、どのように活用し、新たな価値や発想を生み出すかが重視されるべきです。 AIが万能だったとしても、我々ユーザーは世界において自分の置かれた状況を正しく理解して、AIに何をして欲しいのか指示する必要があります。 神様のようなAIが利用可能な時代においては、何をしてほしいか明確に言語化する能力が高くて使いこなせる人と、そうでない人との二極化による格差が広がってしまうと思われます。
人類最後の発明になると言われるAGI(汎用人工知能)の登場はシンギュラリティと呼ばれており、以降は人工知能が自分自身をアップデートするようになるので人間が科学技術開発に関わる必要もその能力もなくなると予測されています。 その様に、我々人類の生活をかつてないほど大きく変化させつつあるAI技術を活用するために、暗記型ではなく、以下のようなスキルを重視する教育が重要になっていくのは必然かもしれません。
・表現力 万能のAIがあっても指示をするのは人間。AIを使いこなすためには適切なプロンプトで指示ができる表現力が必須になる。
・人間力 AIが人間を超える中、大学受験中心主義の詰め込みによる知識が相対的に重要性を失い、学力テストで測れない人間力の価値は高まる。
・実践レベルの英語力
英語による自己表現力をベースに多様な文化を持つ人々と自由に意見交換し、リアルな情報を収集。主体的に世界に関心を持ち続け、世界と自分との網羅的な関係性や立ち位置を正確に把握し、自分の街の住民であると同時に地球の一員として責任ある生き方をする。
英語は論理的な言語なので思考を明確に言語化できる能力や、AIに対しての適切な質問と指示(実用性の高いプロンプト)を書く能力が高められる。 AIの機械翻訳に頼り、英語学習が疎かになる傾向が高まれば、生の英語力を持つ人間が減るのでその価値は相対的に高まる。 (AIの機械翻訳や通訳には文化的な背景知識など、瞬時に通訳や翻訳できない要素が多々あるため限界がある)
AIの学習データベースはほとんどが英語であり、プロンプトも英語入力の方が精度の高い結果が得られることからも言えるが、指数関数的に進化が加速する最先端科学技術のユーザーは英語の話者が基準であり、各国言語の翻訳版ユーザーは遅れを取ってしまう。
・グローバル視点の情報分析力(世界中の情報を収集・分析・俯瞰し、論理的に未来を予測する力)
・批判的思考力(情報を鵜呑みにせず、本質を見抜く)、問題解決能力、倫理観と責任感、学習意欲と適応力、応用力、メタ認知能力
・イマジネーション(想像力)とクリエイティビティ(創造力)、主体性と柔軟性(創造性の拡張、つまりユーザー自身の知識や視点とAIの生成能力を融合し、新しいアイデアや解決策を生み出す) AIをどう使いこなすか、何をさせるのか、想像力/創造力がなくては指示が出せない。
「教育的アクティビティとその狙い」
1. コア・スキル - 基礎的な能力としての算数(実生活の中で算数を使わせる)➕ 国語や英語での読み、書き、聴く、話す、を高める。(幅広い読書に基づく、家族との会話)
2. クリティカル・シンキング(批判的思考)-自由形式の質問、実社会のシナリオなどで、論理的な推論、問題解決、知的好奇心を育む。
3. 世界認識 - ニュース、科学、歴史、テクノロジー、倫理を紹介し、世界に対する幅広い理解を深める。
4. 共感と社会的スキル - 人間の感情、社会問題、倫理的ジレンマについて話し合う。思いやり、コミュニケーション能力、協調性。
5. 自己表現 - プレゼンを多くこなす(人前で話す力)、創造的な作文力、リーダーシップを養い自信をつける。
6. 実践的な学習 - 実社会での活動、実験、応用、地域レベルのプロジェクト型学習への参加や企業や大学のオープンなプログラムを利用することを通して学ぶ。
7. 探究学習 〜 子供が自分の興味に応じた学習/遊びの環境の変化に能動的に順応でき、自己成長できるように - 子供個人の興味を観察し、育て、適切で刺激的な学習ができるように導く。
8. スポーツや文化活動、幅広い読書やものづくり、詩作、ダンスや音楽などの表現、宗教や哲学など、学力では測れない分野への理解や体験を通じて創造性や想像力を育む。
9. 野外での様々な遊びや各種のアウトドアアクティビティ、色々な場所に出かけることを通じて、知的好奇心、創造力、想像力、勤勉性や自制心、知的好奇心、粘り強さ、そして逆境から立ち直る力といった非認知能力や社会的情動的スキルを養いつつ、世界そのものを直に肌身で感じ、地球や宇宙を自分自身の環境として日常的に注意を払う習慣を身につける。 何を置いても、「世界を好きだと思えること」を育む仕掛けは何よりも非常に重要だと思います。
「デジタルメディアやAIの活用」
積極的なデジタルメディアやAIの活用は間違いなく必須ですが、その方法論は十分な議論がなされるべきだと思います。
北欧などの教育先進国では、安易に紙の教科書をタブレットやPCに置き換えることの弊害も指摘され(生徒の集中力や学力の低下など)デジタル化が見直されていますが、日本の文科省の方針はそれら最新の研究とは逆行するようにデジタル化を盲目的に進めているようです。 ITやAIを導入すること自体が目的化してしまい、紙の教科書の“詰め込み”をタブレットなどデジタル機器に置き換えるだけではまったく無意味です。
デジタルデバイスを使う意味は、AIと上手に共存し、自己の延長であるかのように活用できるかどうかで全く変わってしまうはずです。
手放しで文科省に任せるだけでなく、各家庭で我々大人達が、AIを能動的に使いこなしてゆくこと、その上で、注意深く子供達を導くことが常に求められていると思います。
「日本の教育と時代の乖離」
「AIによって教育改革が起きる」と言われながらも、おそらく日本の場合はそう簡単には変わらないかもしれません。 暗記中心、大学受験中心主義の教育が時代と乖離しつつあることは明白ですが、それでも政府や文科省の体制が変化することが難しい理由があります。
制度の硬直性: 日本の大学入試制度は、長年にわたって競争主義的かつ暗記重視の枠組みで運用されており、社会全体に深く根付いています。
利害関係の複雑さ: 大学、予備校、塾、保護者など、多くの利害関係者が現行制度の維持に依存しており、大規模な改革には強い抵抗があります。
教育予算の制約: 日本は先進国中で教育予算が低く、新しい教育モデルを導入するための財政的余裕が限られています。
「改革に必要な時間」
教育制度改革は、カリキュラム変更や新しい評価基準の導入など、段階的な実施が必要なので、10年どころではない長い時間がかかる可能性があります。
国際バカロレアやリベラルアーツ教育など、新しいモデルを導入する試みもありますが、日本特有の文化や社会構造など、改革が進まない要素が多くあります。
昭和初期で時計が止まった文科省の学習指導要領に従う教育よりは、今日いまここで起きている変革にリアルに反応することが大切なのかもしれません。
「まとめ」
従来型の社会の流れに沿っているだけで時代に取り残されるのか、新しい道を模索し、新しい時代に適応するのかで決定的な違いが生まれるこのカオス的な状況は、ある意味、この時代に生まれた子供達にとっての大きなチャンスだと捉えることもできます。
なぜなら、人類の叡智がこれほど広く深く、かつ容易に、誰の手にも届くようになった時代は、これまで存在しなかったからです。
これほど全ての子どもに等しく可能性が開かれていたことはありませんでした。
彼らは、歴史上で語り継がれる特別な存在、「ある意味での人工知能との融合」で進化を遂げる史上初めての人類なのです。