Sさんの旅

2012年11月3日


数ヶ月前に急病でご主人を亡くされた僕の生徒さんが、最近英国を旅行されてきた。

今回はその旅の話を書かせていただこうと思う。

去年の暮れに発病する前、元気だったご主人とSさんはテレビのあるドキュメンタリーを見ていた。

番組中で紹介されていたのは、廃線になった鉄道をボランティアとして保存することに人生をかける男と、その家族のつつましくもあたたかい暮らし。 そして、彼らが愛する蒸気機関車が、童話に出てきそうな美しい風景の中を走っていた。

ご主人とSさんはこの場所にいつかいっしょに行きたいね、と語り合ったそうだ。

それからそれほど時を経ずに、寒空が静かな2月のある日、ご主人は突然天国へと召されてしまった。

その数日後に、声にならない声をふり絞るように綴られた短いメールをSさんからいただいた時も、まだ若すぎるご主人との別れがSさんにとってどのようなものだったのか、僕にはうまく想像することができていなかったと思う。

その後、僕のレッスンは2ヶ月以上お休みをされていた。

Sさんが4月にレッスンに戻ってきてくださって、

彼女が少なくとも他人に対しては元気を取り戻したそぶりをするようになった(と、僕が感じた)後というか、

そういう風に生きようと彼女が決断をしたあとのことしか僕は知らない。

そういう風になってから、時折、自然と話題はご主人の話になったのだがSさんはとても気丈にしていて、

「ああ、この人はとても強い人だなあ」と僕は少しだけ安心していた 。

ところが、ごく最近になって、ある時Sさんががご主人のことを話しながら、抑えようとしながらも抑えきれずに崩れるように泣き出してしまうのを見て、彼女の心の中の大きな喪失と哀しみを少しだけ知った。


旅の話に戻るが、5月の暖かいある日、

Sさんは、ご主人と見たあの英国の風景をひとりで見に行こうと決めたのだ。

しかし、その場所が英国のどこかの田舎だということ以外は覚えていなかった。

Sさんが番組のことをインターネットで調べるにつれ、 放送局やプロデューサーの名前が徐々に判明していった。 メールでプロデューサーに連絡を取ると、彼は親切にも、番組内で主人公として紹介されていた英国人の男のメールアドレス を教えてくれた。

しかもそのプロデューサーは、番組の主人公デイヴィッドとはドキュメンタリーの撮影以来今でも親交があるとのことで、Sさんのためにあらかじめ連絡までしてくれる親切ぶりだった。

ここからは、Sさんとデイヴィッドが何度も何度もメールのやりとりをすることになる。

時折、デイヴィッドからSさんにメールが何日も返ってこないこともあり、 そんなときは何か失礼なことを言ってしまっただろうか、 どうしたのだろうか、などと、Sさんはとても心配したようだ。 だが、結局それは、デイヴィッドが自宅にインターネット環境がなく、 町の図書館に行ったときに館内のパソコンからメールをするという状況によるものだったとわかって安心したりとうこともあった。 基本的にSさんは、現地についてから、彼といっしょにお茶でも飲めれば、 というよりも、 ひとめでも彼に会えて話ができればそれで嬉しいと思っていたのだ。

ご主人といっしょに憧れた「テレビのスクリーンの中の土地」で、 素敵な映画の場面のように描かれていた彼とその家族に会うことができたら・・・

慣れない英語メールなので、何度も向こうの言うことを誤解したり、 こちらの言うことが上手く伝わりにくかったりすることもあった。 そんな時は、僕が多少英語の面でお手伝いさせていただいた。 そうこうするうちに、デイヴィッドは、お茶をするどころか、 彼らの家に泊まっていくようにとSさんを招待してくれた。


あっという間に出発の日は来て、イギリスの地に降り立ったSさんは、デイヴィッドとマリー夫妻に迎えられ、彼らの町を観光に連れて行ってもらった。

中世ヨーロッパの面影を残す、貴族的だがどこか懐かしく古ぼけた印象の建物、マナーハウスや植物園など・・・

その夜、デイヴ ィッドとマリーに囲まれて、Sさんは彼らの自宅で食事を共にしていた。

Sさんが彼らの家に泊まった時に初めて知ることになるのだが、 デイヴィッドとマリー夫妻は、お孫さんを病気で亡くした経験があり、 さらにデイヴィッドは最近弟さんを亡くしてしまっている。

実はSさんには、数年前に一人っ子の娘さんも病気で亡くしてしまうという経緯もあり、ご主人を亡くしてしまった今、ひとりぼっちになってしまったという思いがある。

デイヴィッドとマリー夫妻とSさんの間には、 喪失という体験を共有する人間だけが持てる、 特別な、ある種の親密さのようなものがあったのかもしれない。

それぞれが生きてきた過去や現在や未来を語る、 デイヴィッド夫妻やSさん自身のおだやかな言葉たちが静かに流れ、 Sさんの心には様々な想いがあふれていた。

ダイニングの壁には、夫妻の幼いお孫さんが病気で亡くなる直前の写真が掛けられてあった。

「人は人生で大切な人に出会い家族をつくっていく、けれど、いつかまたその大切な人々を失っていくでしょ。 じゃあなんのために生きているんだろうって思っちゃうんだよね」 というSさんの言葉が僕の心に残っている。

「哀しみや怖れ、そして孤独から解き放たれれば自由になれるのかなあ」とも。

初対面なのに、 デイヴィッドとマリー夫妻とSさんはゆったりとした食事をとりながら何時間も話し込んだ。

鉄道を愛する気持ちのあまり、自宅の庭にレールを敷いたり、息子の家にはミニチュアの鉄道を造ったり、 もちろん玄関などには鉄道関係の看板が掲げてあったりするデイヴィッド家を後にして、Sさんはテレビで見た地を目指した。

そして、6月の英国にしてはまずまずといった天気のある日、Sさんは、ついにご主人と夢みた大地にひとりで立っていた。

特別な風景ではないが特別な意味を持つ場所。

素朴で叙情的なこの場所にSさんはひとりで立っていた。

後で僕に聞かせてくださった感想は、

「こういう時って物語なんかだと、夫の存在を感じたりするでしょ?」

「私は今、あなたといっしょにいるんだね・・・」とか。

「私が一番悲しかったのはね・・・そういう感覚がこれっぽっちもなかったからなの。」

あくびが出るぐらいに穏やかにゆっくり流れる運河沿いを歩いたり、

そこで散歩をしていた人と知り合って、いっしょに近くのお店でビールを飲みながらたわいもないおしゃべりをしたり、

鉄道を修理している人と話し込んだり、生まれて初めて出会う人々の心といろいろな触れ合いをしながらSさんは英国をあとにした。


このようにして、イギリスの片田舎のいろんな人々と知り合う度に、Sさんは自分の哀しみの話をしたのだろうか? 答えはNOだ。

Sさんは、ごく最近ご主人を亡くしてしまったことや数年前に娘さんを亡くしてしまったことなどは、デイヴィッド夫妻以外には話さなかったそうだ。

自分が失ったものよりも、自分の心の空白の話よりも、

まだ起きていない、そしてこれから未来に起きるであろう素晴らしいことや、現在の自分が持っている素晴らしいものごとについて、そんな話を出会った人たちと語り合ったのだろうか。

この旅で、Sさんの心のキズが癒されたというような安易な結末は残念ながらなさそうだ。

それでも、旅を終えた後で見せてくれた彼女の涙も笑顔も、今からもきっと素敵なことを彼女にもたらしてくれる心の働きなんだろうな、と、なんだかそんなふうに僕には思えた。

つい最近、Sさんが笑顔で言っていたのは、

「また近いうちにどこかに旅に出たいなって思ってるよ」 だった。


To be continued... 人生(旅)はつづく・・・