グランドキャニオン
2017年2月20日
といっても、映画「ミッションインポッシブル」でトムクルーズがロッククライミングをしていた場所ではない
僕の「グランドキャニオン」は、少年時代に山口市にあった宝の山のこと
たとえ話ではなくて、現実に僕自身がかつて知っていた本物の宝の山の話だ
僕が10才の時に家族で移り住んだ団地
幼い時から慣れ親しんだ小さな町に別れを告げて、転校をして引っ越した、ずっとアパート暮らしだった僕にとっては生まれて初めての二階建ての家
当時はまだ両親が離婚しておらず、妹も弟もいっしょに5人家族で住み始めた新しい家
隣の家には、ピアノを毎日練習するために、夕方になるとすぐに家に帰ってしまう友達が住んでいた
男子なのに、と、当時の僕はあまり良くは思っていなかった(今では僕自身がピアノを弾くのが大好きなのに)
100軒ぐらいの新築の家が建ち並ぶその団地の、僕たち家族の家は一番最上段にあり、家の裏には高さ4メートルぐらいのコンクリートの擁壁が横幅100メートルぐらいあった
その壁の左横のコンクリートが切れた場所に、むき出しになっている泥の斜面があった
それを這い上がって行くと、さらに上段に新しい家を建てるための造成工事をしている現場があった
積水ハウスが工事をしていたわけだが、工事の終了した時間帯や休日には工事関係者などの人の気配はなく、ブルドーザーが何台か置きっ放しになっており、上方に500メートルぐらいだろうか、大規模に山が切り開かれ、赤土の斜面の起伏が広がっていた
小学生5年生の僕にとっては、グランドキャニオンのように広大なその赤い地面の”山脈”の光景は、それ自体が冒険心をくすぐる格好の遊び場だった
その山が宝の山だったのだから、僕の放課後の多くの時間がそこで費やされるようになったことはごく自然なことだった
いくつもあった宝だが、せっかくなので、もったいぶっていちばん重要度の低いものから書いてみることにする
廃車置場
まずは、造成地の最上端に何故か併設されるように(仮設だったのだろうと思うが)存在した自動車の廃車置き場
この、3台も4台も縦に横にあらゆる種類の車のスクラップが積み重ねてある場所で、僕たちは車内に置き忘れられた小銭を捜したり、スカイラインとかフェアレディZとか、車のエンブレムをボディから引き剥がしてコレクションしたりした
車名だったり、社名だったりのエンブレムは、クロームシルバーだったり、メタリックブラックだったりブルーだったり、独特の金属的な質感と光沢を持ち、不思議な魅力を感じさせてくれるずっしりとした重さがあった
気づいた時にはいつのまにか30個も40個も集めて、キレイに洗ったり磨いたりした
ときおり箱から取り出して揃えて机に並べてみると、なにかとても大人っぽくて貴重なものを所有しているような気分になったし、時には友達と自慢のコレクションを見せ合った
なぜだか僕はそのときの記憶がないのだが、ある日管理人のような人に見つかってものすごく怒鳴られて、みんなで走って逃げるということもあったのだと当時の友人が言っていた
捨てられている車だからかまわないだろう、と僕らは判断して、車内を荒らしまくり、あらゆるパーツを引き剥がしたり、グローブボックス内に1円や5円、10円、幸運な時は100円などの小銭を見つけたり、僕らは小学生だったが窃盗罪?が適用されても仕方ないかもしれない
そうそう、車内から何十本という発煙筒を片っ端から集めては、花火のように遊ぶのも僕らのお気に入りの遊びだった
エクストリーム系BMXの遊び場
今の時代は山の斜面を整備してコースを造り、猛スピードで駆け下りるマウンテンバイクやBMXが身近にあるけれど、僕たちは誰もそんなもの持っていなかった
僕らはただスリルと恐怖を味わいながら、山の上の方から、ラクダのこぶのような地形が連なりうねっているスロープを、各自の所有するごく普通の自転車で猛スピードで駆け下りていた
ところどころにできた大きなくぼみは、大雨が降るとちょっとした池になるのだが、その池に向かって自転車で突っ込んでいき飛び込むという遊びも最高だった
池の手前の斜面で思い切りスピードをつけると、水辺の直前にジャンプ台のようなこぶが有り、それで思いきり勢い良くジャンプすると、時には自転車ごと逆さまに回転して頭から水中に落ちたりもしていたのだからかなりワクワクしていた
大怪我をしなかったのはラッキーだったと思う
不思議な色彩の斜面
基本的に赤土でできているその斜面だったが、ある一部分に10メートル幅ぐらいだろうか、銀色の泥や岩石だけで形成された斜面があった ほとんどが銀色の泥だが、所々には岩のような部分もあって、手で触るともろく崩れた
色の質感としては宇宙船の銀色といったところ
雨が降ると、足元に流れる水も銀色のドロドロになり、銀色の壁から異次元世界が現れてきそうだった
もう一つが緑色の斜面
こちらはもっと岩石の層のようだが、叩き付けるとやはり簡単に崩れたし、雨が降ると、こちらは緑色の泥水を発生させて本当に不思議で非現実的な光景を作り出していた
銀色の斜面は造成地の上の方だったが、この緑の斜面だけは、人々が住んでいる段の横にすぐに見えていたのだが、生活の場にあってだれもこの斜面の話をしていたという記憶が無い
最近になって、懐かしくなり、母親にきいてみたのだが、銀色の方は良く覚えていて、何かの金属を多く含む土だったんじゃないかと彼女なりの分析だった
緑の方はぼんやりとしか覚えていないそうだ
この二つの斜面については友人たちととやかく騒いだ記憶は無いし、写真も残っていないが、思い出すたびに不思議な高揚感がある
特にあの、一面エメラルドグリーンの斜面をもう一度見てみたい
粘土採掘〜陶芸
僕は小学5年生にして陶芸家のまねごとをしていた
なぜかこの造成地には粘土らしきものがあったようで、友人達の中でも特に僕がこれに興味を示して、(母親に聞くと)たくさん”粘土のもと”の土を採ってくると、バケツに入れて水を張り、それを沈殿させて粘土を分離させるという方法を、いつのまにか僕はやっていたそうだ
おそらく理科の先生にでも教えてもらったんじゃないかと母は言っていた
こちらもだれにアイディアを得たのかわからないが、家の庭にピザ焼き窯のようなものを、僕はその粘土で作った
基本的に、雪で作るかまくらのように、たくさん盛り上げた粘土にトンネルを掘ってそこで木を燃やすようにして、火が昇る上部に鉄の棒か何かをセットして、そこに粘土で作った皿などの器のようなものを置いて、直火をメラメラと当てて素焼きで焼いていた
この遊びには夢中になって、次から次へと作り出す作品の中には、灰皿(のようなもの)から茶碗(のようなもの)、大物では傘立て(のようなもの)やウサギ(のような)オブジェまで、どんどん焼いては玄関に並べるのだから母親も困っていたのだろうが、そのことでは特別両親ともに怒られはしなかった
僕にとってはこういう遊びが創造性などの感性を育んでくれたと思う
本物の粘土かどうかもわからない(母親曰く本物の粘土に限りなく近いものだったらしい)材料で、素人小学生の手作りの窯で、温度もとても低く、塗るような上薬なども無い素焼きなので、実際に生活に使える食器などはもちろんできてはいないのだが、ノウハウを誰にもおそわらずに勝手に思いつきで何かを作れているという感覚は本当に楽しかった
当時の家の庭には、元から設置してあった金属のフェンスに、工事現場で拾って来たベニヤ板などを立て掛けるようにして友達と作った小屋があった
現代のホームレスたちに先駆けたようなその小屋に、時折友達3人ぐらいを招待して一緒に泊まり、焼き物をいっしょにするという遊びもしていた
その当時僕が焼いたものをひとつだけ保存してあったが
見た目はなんだか古代の遺跡から発掘したような土器だ
唯一残っていた小6の時に作った器
最後になるが、この山の一番の宝物の話だ
引っ越して間もないある日、僕は一人で”グランドキャニオン”を歩いていると、山肌にキラキラとした光を見つけた
息を呑むような美しい光に誘われるまま、注意深く周囲の土を払いながら掘り返すと、いくつもの結晶が透明な輝きを強く放っている
かたまり全体を掘り出すと、小学生の手のひらよりもずっと大きくずっしりと思い、15センチぐらいの石の塊に20から30もの水晶の結晶が形成されているものだった
それぞれの一粒は直径1センチぐらいで長さは3センチぐらい
この水晶はそれまでに僕が見たものの中で最も美しく最も神秘的で、それらの粒がいくつもいくつも密集しているその石の塊は僕の心を一瞬で捉えてしまった
僕は生まれて初めて、博物館でもパワーストーンショップでもなく、自然界で本物の水晶を見つけたわけで、この体験は僕になぜか本当に強烈な印象を残している
大人になり、今に至るまで僕は夢の中で、何十回も何百回も、それこそ無数に、宝石のような水晶を見つけてものすごい興奮をするという夢を見るのだ
何十年も経ったいまでもそれぐらいに水晶には惹き付けられるのだが、店で買って所有したいわけではなくて、できればまたいつか山の中で自然の水晶を見つけてみたいという強い願望がある
とにかくその日から、僕はグランドキャニオンの水晶探しに取り憑かれることになった
自転車やスクラップ置場での遊びは何人かの友達といっしょに騒ぐ時間だったが、僕は定期的に一人きりであの魅惑的な輝きと興奮に出会う瞬間を求めて山へと足を運んだ
アフリカの砂漠で、極大のダイアモンドを発見した黒人が雄叫びをあげる
この当時から数年後、高校生の頃に何かの映画で僕はそういうシーンをみたことがある
僕にとってのダイアモンドは、あの頃のあのグランドキャニオンに散らばっていて、今でも記憶の中で不思議な光で煌めいている
僕の、大切な水晶コレクションは少しずつ増えていき、何十個もの、何キロもの稀少な石達をダイアモンドに換算したならばおそらくどこかの南の海の小さな国をまるごと買い取れるぐらいの価値があっただろう
成長とともに、僕も仲間も遊びのスタイルは変わり、部活やゲームなどに時間を使うことが増え(僕は相変わらず勉強はしなかったが)、スクラップ車の襲撃はとっくに飽きて、自転車で坂を転がり落ちてヒザから血を流すことも、宙返りして泥水に飛び込むことも少なくなり、相変わらず水晶だけは採り続けていたが、僕自身も銀色や緑色の斜面などには見向きもしなくなっていった
やがて僕が中学3年生になったころ、両親が離婚することになり、この家を売ることになった
いつも叱られて鬱陶しかったが、どんなに遠くてもどこへでも自転車に乗せて連れて行ってくれ、クリスマスなどには特別のごちそうを作ってくれた、笑顔と人間味に溢れる母親
優しすぎる、だれよりも静かで儚い心を持つ妹
かわいくてしかたがなかった小さくてやんちゃな弟
彼ら三人は母親の実家の宮城県に行くことになった
一生懸命に生きていたが、3人の子供たちへの愛情表現さえも死ぬまでうまくできなかった、世界一不器用だった父親といっしょに、僕は山口に残ることになった
突然の大人の事情で、僕ら家族はその後二度と一緒に時を過ごすことは無かったのだが、当時14才の僕には未来をイメージする想像力もなく淡々と家族最後の数ヶ月を過ごした
ある日僕ら家族は新幹線の駅でお別れを言い
父と二人で山口の家に戻った僕は、
ダンボールいっぱいになっていた水晶をぜんぶ捨てた
年月は過ぎ去り、大好きだった父親は病気で亡くなり
いまは手元にあの頃の宝物はなにも残ってはいない
それでも僕の夢の中のグランドキャニオンには
いまでも印象的な色彩や輝きと共に無数の思い出や感情が光りを放ち続けている