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 講師のブログ




2018年4月2










 これからの英語教育










英語の教育というものに対しては多くの方が勘違いをされていると思います。
現在でも学校での英語の授業は相変わらず読解に偏ったものであり、生徒たちは話す、聴く、書くといった技能が著しく劣っているままです。 そもそも英語、英語、と国家を挙げて教育の中心に英語教育が据えられている理由はなんなのでしょうか。 それは、国民の英語力の向上こそがすなわち即、国力の向上に直結しているからに他なりません。 国民1人1人の英語力が上がることで世界に対しての競争力が上がります。 企業は強くなり、多くの優れた新製品が開発され、グローバルな市場でより大きな利益をあげることが可能になります。 また文化的にもスポーツの面でもさらには国際政治においても当然ながら英語を使いこなす人間がより大きな舞台で活躍し、各界のレベルを引き上げることは周知のことです。 日本という国が競争に生き抜くための死活問題なのです。


それでは、これらの一流の人材に求められている英語力とはいったいどういうものでしょうか。
当然ながらこれはやはり言語としての英語です。 言語、ことばとしての英語とは、結局は「おしゃべり」から成り立ったものですから、音声ありき、話す、聴くありきなわけです。 我々が日本語を習得するときのプロセスを見ても、赤ちゃんが同じ過程を経てマスターする様子が思い出されます。


それが外国語として英語を習得させようとして、学校の教科で英語を教える現場になった途端に、
「膨大な単語を覚えさせ、文法で考えさせる」という方法論が一番の早道だと文科省の学者達が方針を決めてしまい、それがそのまま採用され続けて失敗し続けているという状況なのです。


確かに、非常に優秀な頭脳を持つごく一握りの人間にとってはこの方法は有効な面も否めませんが、そういう人間にとってでさえ、英語の習得に対しての主体的なモチベーションが非常に高い次元で備わっていなければ全くうまくいきません。 なぜなら、英語は「ことば」=「コミュニケーションの道具」であるのに、単語と文法に偏った方法では、ことばとしての機能を体験できるまでに少なくとも数年間は、ひたすら机上の空論のような感触さえある学校の教科としての英語の勉強に終始して耐え続けることが求められるからです。 結果として、多くの場合には、前述の非常に優秀な一握りの人間の中でもさらにほんのわずかな人間だけが、いわゆる学校英語だけで本物の英語力を身につけることができ 、大多数の優秀な日本人は、大学まで10年以上も英語を勉強させられたのに残念ながらほぼ全員が英語のコミュニケーションが全然取れない、英語の読み書きもほとんど実用レベルには達していないという悲しい現実に直面するのです。


学校英語の滑稽な現状は、例えるならば、自転車に乗れるように教育したいという目的があるのに、
学校教育では10年以上も一度も生徒を自転車に乗らせずに、毎日、教師が黒板に書いた理論を解説し、曲がるときに自転車を倒しても転倒しない理由として遠心力を難解な数式で理解させる、というような授業を続けた生徒が10年後、社会に出て自転車に乗ろうとしたらまったく乗れずに愕然とするというようなものです。
まずはグランドに出ていき、生徒達に自転車に乗らせるべきなのです。 理論は後で良い。


小学校、中学校、高校、大学、それぞれの英語教育の現場には「ことば」としての英語、すなわち「英会話」としての教育ができる人材が足りていないという事実はありますし、前述の学習指導要領などは悪循環の原因であり続けています。


とはいえ、親御さんの考え方ひとつで、自分の子供にはどのように英語に向き合わせるか、という家庭での指導方針が変ります。 そのことは、習い事としての英語はどうするかという決断にも大きな影響を与えます。
 よく目にするのは、受験を控えた時期に、
まで通っていた英会話のレッスンを辞めて、いわゆる進学指導型の英語塾に行かせるというケースです。  確かに、生徒さんによっては短期的な視野ではその方が高校受験、大学入試に有利な学習成果をもたらす場合があるのも事実でしょう。  そのような生徒さんは、多くの場合、結局はその英会話教室では、まだ英語を「ことば」として実感できるほど自由会話力が身についていないのです。 まだ英語を話せる聴き取れるという楽しさを味わう前の生徒さんであれば、確かに塾で従来型の詰め込み学習を強制された方が*現行型の受験には有利かもしれません。

(* 数年後には4技能測定型の試験に移行されますので、その頃には現行の塾の指導スタイルでは全く通用しなくなります)

ですが、一旦英語で自由に会話ができるという自信がついた生徒さんは、英語ほど簡単な教科はないと感じるようになるものです。 数学などは数学的な素養がない人間には苦しい教科だといえます。 しかし、障害があるわけでなければ言葉が話せない人間などクラスに1人もいないように、英語というものも、正しい方法論で学習すれば頭なんか良くなくても誰にでも、本当に誰にでもマスターできるものなのです。 いちど英語が楽しいと感じるようになってしまえば、単語も文法もいくらでも吸収しようと意欲が沸くものです。 そこに達するまでは、仮に数年かかってでも(目先の学校の成績や、詰め込み型の塾などに振り回されずに)辛抱強く導いてあげるのが親御さんや指導者達の役割です。

これからの大学入試では従来のセンター試験が段階的に廃止され、「読む」「聴く」「書く」「話す」の4技能が評価されるシステムに徐々に移行されていきます。
これには民間の資格・検定試験が活用される方針ですが、どのような試験が採用になるのかまだまだ議論が続く状況です。 段階を経て様々な試行錯誤が続くものと見られ、しばらくの間は混乱が避けれらませんが、
それが英検であろうと、TOEICであろうと、今後どんな新しい試験に決まっても「本物の英語力」を磨いておけば何もこわいものはありません。 

世界中の英語の情報を自分自身の豊かな人生に自由に活かすために英語の勉強をしているのだ、という意識を持てた生徒は誰でも伸びるものです。